大正期のヤマツ食品(当時は「前田商店」)

 

 

 

ヤマツ食品株式会社は、創業慶応二年(1866年)。

 

八代目惚兵衛の次男である、前田常吉が
ここ中津川に創業いたしました。
爾来、中津川の土地で小さな商いをさせていただいております。

 

前田常吉の次男は、長じて日本画家前田青邨となりました。
そのころの様子はどうだったのか、歴史をたどり、ルーツを調べるうちに、
元禄時代に中津川に流れ着いた僧侶が、我が家の先祖とわかりました。

 

これは、流れ着いた僧侶から、初代常吉の奮闘、
そして常吉の次男廉造が、日本画家前田青邨となるまでの軌跡を、
物語としてまとめたものです。

 

史実に基づいたフィクションとしてお楽しみいただければ幸いです。

 

 

作:池田暢子

1-1 序

尾花が山から吹き下ろす風に身を任せるように斜めになり、白い道標となって中津川宿への道を示している。その日、木曽路には今年初めての雪が降った。一人の修験道者が、ふらふらと体を揺らしながら御嶽山を背にして、木曽路からの道を歩いていた。衣は薄汚れ、脚絆も破れかけている。草鞋に至ってはほぼ裸足ではないかとい...

≫続きを読む

1-2 淀川 その一

恵那山を北に見上げる山あいではあるが、平地になった場所は、米が取れる場所として村人の結束も固い。長い年月に渡り住み慣れたその場所から、一家が淀川のほとりに移り住み、商売を始めたのは、惣兵衛の家も五、六代と代を重ねた頃のことであっただろうか。文化五年(一八〇八)の穏やかな初夏が終わり、梅雨が始まって間...

≫続きを読む

1-3 淀川 その二

常吉は走り回れるようになるが早いが、坊主頭に絣の着物で兄や近所の子供達と野山を駆け回る毎日だったが、時折冒険心を起こして、中山道に皆で入り込むこともあった。宿場町らしい幅四間はある広い道は掃き清められ、ちり一つ、石一つ落とすまいという町衆の気概が感ぜられる。その東西に十町七間もある中津川宿の端から端...

≫続きを読む

1-4 淀川 その三

奉公先は、同じ中津川宿にある呉服商の山田商店で、太物と呼ばれる木綿の着物やら、風呂敷から座布団、商家の厚司、前垂れまで扱っていたから、日々目の回るような忙しさであった。着慣れぬごわっと厚いお仕着せを着て、髪を結ったばかりの常吉は先輩の丁稚に小突かれ、番頭に怒鳴られしながらも常吉は小さな体を転げるよう...

≫続きを読む

1-5 玉繭 その一

常吉の新しい商売は、 主人からいただいた別家料と実家からの餞別で同じく呉服、太物を商うことになったが、主家とまったく同じ商いでは、どことなく肩身の狭いような、申し訳ないような思いがしてならない。まだきちんとした店を構えるまでの実力もない、と街道からは少し入ったところの家を借り、何か、自分だけが出来る...

≫続きを読む

1-6 玉繭 その二

明治十年の春が明けた。正月の祝膳を前にして、常吉は背には床の間に清々しく旭日の掛け軸をかけて、珍しく笑顔であった。昨年の秋に世話する人があり、三里ばかり中津川宿から離れた集落の安田という家から数えで十六歳のタカを娶ったばかりの常吉は、初めて当主らしく、座敷に正月のしつらえを整え、朱塗りの祝膳も道具屋...

≫続きを読む

1-7 玉繭 その三

中山道中津川宿を横切る三本の川のうち、一番木曽に近い淀川から数軒のところに工場を構えたのは、このころのことであろうか。淀川沿いの実家にもほど近く、念願の街道筋に最初は菅井家の隣の民家を借りて玉繭の工場と住処を同じにしていたが、注文が増えれば人も増やして繭を煮るための鍋をならべるにはすぐに手狭になって...

≫続きを読む

1-8 相場 その一

夜、人目をしのんでホタホタと戸を叩く音がする。常吉はその音を聞いただけで、それが時間はずれの買い物客か、それともあの用かがわかる。「開けてやり」と読み書きそろばんの稽古や片付けにせわしなくしている丁稚に命じ、こればかりは番頭ではなく自分が対応した。「あの用」とは、借金の申し込みのことで、小さな商いを...

≫続きを読む

1-9 相場 その二

当時の米相場は、いわば金融商品のようなもので、預けた金が天候によって、上がったり下がったりする。どこそこで大雨が降った、あそこじゃ日照りだ、といった短期的な情報で、その時々の 米の出来の予想をする。当然相場は常に乱高下し、賭博の要素も強かった。こづかいをちょっと増やしてやろうかという軽い気持ちで始め...

≫続きを読む

1-10 相場 その三

うつろな目で墓参りを済ませて、本堂に挨拶に寄ると、住職の僧侶が茶を振舞ってくれた。なんでも本山の修行を終えた僧侶が滞在しているということで、自然と話は三人で始まり、その僧侶の巌のような体躯と、どっしりとしたずっと微笑んでいるような顔に見つめられているうち、どのような境遇に身を置いているかを、常吉はな...

≫続きを読む

1-11 元祖漬鳥

明治二十年の秋が深まって行く。中津川を取り囲むようにそびえる前山や木曽の山々が赤や黄色の彩りを今年の名残とばかりに勢いよく燃え上がらせ、澄み切った空がくっきりと青い恵那山を浮かび上がらせていた。よく晴れた十月である。秋祭りの笛や太鼓の音がかすかに聞こえてくる。御神酒を奉納した常吉の店の前にも、おさが...

≫続きを読む