1-4 淀川 その三

奉公先は、同じ中津川宿にある呉服商の山田商店で、太物と呼ばれる木綿の着物やら、風呂敷から座布団、商家の厚司、前垂れまで扱っていたから、日々目の回るような忙しさであった。

 

着慣れぬごわっと厚いお仕着せを着て、髪を結ったばかりの常吉は先輩の丁稚に小突かれ、番頭に怒鳴られしながらも常吉は小さな体を転げるようにしてやり方を学び、そろばん、文字に至るまで、寝る間を惜しんで学び、奉公する姿は背中から火を吹くような熱を帯びていた。

 

時折、御用聞きの途中でこっそりと実家の大惣の台所に入り込んで、女中頭や母が目に涙を浮かべながらそっと握り飯を手渡し急いで食べさせるのを惣兵衛は見て見ぬ振りをしながらも、ぐんぐんと成長して、目の光の増して行く常吉を見るのは胸の熱くなるひと ときであっ た。生来の気性の激しさと体の丈夫さはここに来てようやく進む方向を見つけて花を咲かせようとし始めていたといえよう。

 

丁稚十年、手代三年を勤め上げ、目処の立つものはようやく番頭になれるというのが商家のならいではあるが、もとより実力世界の商売人のこと、才覚と意気地のあるものにはどれだけでも早い出世が待っているのもこの世界のならわしである。常吉の仕事の覚えは早く、一を聞いて十を知り、顧客の望むものをきちんきちんと用意して、さらにも一つこういうものもご入用では、と追加でさりげなく用意ができるとなれば、痒いところに手が届くような働きぶりが評判であった。「常きっどんなら、話が早いわ」と得意先の信頼も厚くなり、盆と正月の薮入りの日も同じ 宿場町にあるのだからもっとゆっくりしていけば良いのに、と引き止める母にも、「まだ修行中や!」と叫んで走って店に戻るほどであった。

 

常吉は、どの朋輩よりも早く、丁稚五年で手代となり、さらに数えの十七で番頭を任され、羽織姿を許されるまでになった。ぐっと真一文字に結んだ口元、鋭い目を光らせた小柄な体に、短めの羽織を誇らしげにまといつつ、誰よりも腰を深く折って挨拶する姿を見つめていた店の主人は、古参の大番頭とも相談しつつ、「このしっかり者なら年は若いけど、もう一人前やな」と常吉に別家を許すことにした。山田商店の「山」と常吉のツを取って「ヤマツ」を名乗り独立せよ、と申し渡したのはそれからまもなくのことであった。

 

 

つづく